離脱

思ったことを書いてそのあと取りまとめます。

ペットボトルのパッケージと保温性

ペットボトルと言えば本体の上に薄い樹脂製のパッケージがついているのが普通である。最近はそういったパッケージを廃したミネラルウォーターが話題になっていたりするが……。

ペットボトルの形状は普通デコボコしている。強度を出したり中身の液体の膨張収縮への冗長性の確保になっていたりするらしいのだけれど、このデコボコがまた別の役割を果たしうるのではないかと言う考えに至った。そしてコレはデコボコに加え、薄い樹脂製のパッケージも必要となってくる。

暑い日に、買ったばかりの冷えたペットボトルを見ると、そこに結露が発生してることに気づく。よくある話である。ただよく見ると発生している箇所と発生していない箇所がある。

ペットボトルのデコ部分は結露し、ボコ部分はパッケージに覆われて露出していないので結露しない。

空気と言うのは動かなければよい断熱材となると言う話を聞いたことがある。デコボコの形状を工夫すれば、ペットボトルの周囲に動かない空気層を作り出し、をれを断熱層として用いることが出来ないだろうか。パッケージに新たな機能を付与させられないだろうか。

そういったアイデアはもう既に考え尽くされているのだろうか。詳しい人がいたら聞いてみたい。

 

検索してた見つけた面白い記事

https://www.cocacola.co.jp/pacblog/sokenbicha/bottle

ギチギチのペットボトル

新幹線に乗り、コンビニで買ったお茶のペットボトルをドリンクホルダーに差し込もうとすると入らない。無理矢理押し込んでみると、バキバキと変形する音をたててなんとか入りきるのだが、飲もうとすると取り出せない。

そう、最近のコンビニのペットボトルのお茶が大径化しているのである。仕方ないので窓辺に置いておくことにする。

しかしよく考えると今までよくもまぁ色々とあるペットボトルが、あのドリンクホルダーに納まっていたものだと思う。ペットボトルがホルダーに合わせていたのか、はたまたその逆か。ペットボトルデザイナーではないのでよく知らないが、一定のサイズ感を逸脱しないような暗黙の了解でもあったのだろうか。

ただルールはもう破られた。大径化されたペットボトルが多く世に放たれた。もうドリンクホルダーデザイナーもコレを無視できない。

ペットボトルホルダーのデザインは混沌への道を進み始める……!

 

 

まぁアジャスタブルな構造にするだろうし、そうなっているものも既にあるだろう。

しかし規格が変わると言うのは非常に厄介なもので、それまでは考えなくてよくなかったファクターを再度デザインに組み込まなければなるわけである。世の中そういった規格があることで、色々と省力化出来ていたりするわけで、逸脱することが明らかに善であっても、より広い視点で見れば悪になったりする、そういうことが多くあるんだろう。

朝が来るまで終わることのない会議を

会社に限らずともチームで何か事をなそうとすると、やたらと会議が多くなり辟易してしまう経験がある人は少なくないと思う。

ある問題の解決方法の選択肢のなかで何がもっとも効率的で素晴らしいかを示したり、その問題がどういった経緯をへて現状に至ったかなど、何かを決めるために膨大な資料を作らなければならないかと思うと、すっかりやる気が削がれてしまう。

しかしこれがチームで何かするということである。

人が自分の頭のなかの考えを他人に伝えるためには、文字やイラスト、グラフなどの媒体を使用する必要がある。脳味噌と脳味噌を直接つなぐ訳にはいかない。

この媒体というのがなかなかに曲者で、こいつをつかって自分の頭のなかを正確に表そうとするとずいぶんと苦労する。しっくりと来るものがなかなかないのである。

これは媒体の欠陥かもしれないし、我々の脳味噌の限界なのかもしれない。脳味噌の中身と媒体がしっくり来ることもなければ、その媒体が他人の脳味噌に喚起する内容が自分の脳味噌の中身と一致することもさらに少ない。

そんな状況のなかでも、人々は生き残るために協力せざるを得ず、そのためにコミュニケーションツールを磨いてきたのである。

この協力のためコミュニケーションすることのひとつの例がこの会議というやつである。

資料を作る過程で頭に中で整理されることも多々あるので悪いことばかりではないのだけれど、やはり疲れるものは疲れる。

 

ワールドカップ

世間はワールドカップで大盛り上がりだが、いままで自分はサッカーの中継を真面目に見たことがない。テレビで流れているのを見たことはあるが、試合やってるから見ようと思ったことはない。

何であんなもんに熱中してるの?と貶めるつもりもない(とも言えないこともないけれど)。恐らく自分はサッカーの見方というものがわからないのだろう。

大学の教授に自称スポーツ観戦に人を引き込むのがうまい人がいた。どうやって人をスポーツ観戦に引き込むのか。それは次の動きを予測して見せるということだった。そしてその予想通りにゲームが動くと、ルールの知らない素人でも「なぜ?」と否が応でも引き込まれてしまうそうだ。そうすれば、あとはゲームのセオリーや読み方を状況に合わせて説明していくだけである。自分だったら次はどうする、と考えながら見られるようになったらもうはまったも同然である。ということであった。

どんなものにも楽しみ様はあって、ある程度知識が手に入れられれば、楽しむことはできるのだろう。ただその第一歩は人生のどこに潜んでいるのだろう。

少なくともサッカーに関して言えば、生まれてこのかたそんなチャンスはなかったようだ。そしてこれからはあるのだろうか。わからない。

僕が熱中してみたのはツール・ド・フランスくらいだが、今はもう見ていない。

blogのpvとブランディング

このblogにはいつも思い付きを書いているわけだが、なんとそれでも1日1pvあるのである。驚き。

書いている内容はバラバラで統一感はない。

別段これから先広がる話もないので下書きのままで終わる記事だったのだけれど、深夜のテンションを借りて少し進めてみる。

このblogに統一感が唯一あるとすれば、それは筆者である僕が書いているということであろう。僕自身かれこれ二十数年生きているわけで、そこにはどうしても凝り固まった考え方が存在していることだろう。blogの題材には統一感はないが、その深層を探っていけば何かしらがそこに通低していることがわかるかもしれない。それが何かは僕にはわからないし、探ろうとする人もいないとは思うけれど、恐らく何かしらあるのだろう。

とあるアパレルブランドを主催している友人と個人デザイナーブランドにブランディングが必要かという話をしたことがある。そのときの結論はノーであった。そのときの話では個人こそがブランドの源泉であり、そこに虚飾を加えることは無意味であり徒労にしかならないということだったと思う。

ブランディングに腐心するくらいなら面白い人間になったらどうだろう。

あとこのblogを読んだあなたはおおよそ数千万分の一の偶然を引き当てるとってもラッキーな人間だ。……いやアンラッキーか。

 

憎い演出

友人の結婚祝いを買わねばならぬ。ということで少しお出掛けをした。

結婚祝いというものを買うのは実ははじめてで何を買っていいかわからない。とりあえず高級そうなものを色々と取り扱っているブランドでなにか買おうということで、専門店街にいった。

個人的な趣味でどこのブランドにするかは実は決まっていた。エルメスである。

エルメスはいわいる高級ブランドではあるものの、LVMHやリシュモン、ケリングなどのコングロマリットには所属しておらず、変に商売に突っ走っているイメージが少ない。LVMHグループとは自社の株をめぐって闘いを繰り広げたりもしており、僕のなかでは好感度が高い。

あいにく物の質がわかるほどの目利きではないので、こういった話でブランド感を判断せざるを得ないのは悲しいところではある……。

さてエルメスと言えば色々と代表的商品があるのだろうけれど、僕のなかでは圧倒的にカレの存在感が大きい。ちなみにその次はノーチラス。

カレを手に取ってみるのははじめてだったが、販売員の方がカレを広げるとき絹独特の衣擦れの音を出しながら広げるのが印象的であった。なかなかに憎い演出である。それだけでいたく満足し、そのまま購入に至る。

プレゼントがいいのは自分が使うことなく、商品に対する印象が変わらないことである。自分で使うとなると満足のいかない点が見えてくるかもしれない。プレゼントは自分が使うことはないので、買ったときの印象がそのまま残る。

あぁ今回はいい買い物をした。

5000円の眼鏡にマジになっちゃって

恐らく今後車を運転する必要性出てくることから、度の合わない眼鏡のレンズを交換しにいった。前の免許更新の時はギリギリ通過だったので年々視力は落ちているのだろう。眼鏡は運転用に一本しか持っておらず、それも5000円の安物である。値段のわりには特徴的なデザインで実は気に入っている。買ったのも3年以上も前のことである。

さて眼鏡を買ったブランドの店舗にいってレンズ交換の価格を聞いてみると、なんと5000円、買った価格と一緒であった。なら新しい眼鏡を買っちゃおうかともなるのだけれど、物色しても気に入るものがないので結局レンズ交換で済ませることにした。

というのも今のフレーム以上に良いと思えるものが見つからなかっただけなのだが、この気に入るものがないという状況は果たして僕の単なる好みによるものなのだろうか。

形状なり色なりの好みによる部分ではなくそれ以外の理由で今回の決断に至った。単純に見た目がチープなのである。鼻パッドも耳かけ部分も全部一体成型で明らかに今持っているフレームよりもディテールが簡略化されているのである。明らかに安い。

無論フレームの素材がその分良いものになってるとか、その店の販売方針として最安フレームの種類を多く持たないとか色々な理由があることも容易に予想がつくので、アコギな商売になったというつもりはないが、そこに僕の気に入るフレームがなかったのは確かである。

 

続かない