離脱

思ったことを書いてそのあと取りまとめます。

朝が来るまで終わることのない会議を

会社に限らずともチームで何か事をなそうとすると、やたらと会議が多くなり辟易してしまう経験がある人は少なくないと思う。

ある問題の解決方法の選択肢のなかで何がもっとも効率的で素晴らしいかを示したり、その問題がどういった経緯をへて現状に至ったかなど、何かを決めるために膨大な資料を作らなければならないかと思うと、すっかりやる気が削がれてしまう。

しかしこれがチームで何かするということである。

人が自分の頭のなかの考えを他人に伝えるためには、文字やイラスト、グラフなどの媒体を使用する必要がある。脳味噌と脳味噌を直接つなぐ訳にはいかない。

この媒体というのがなかなかに曲者で、こいつをつかって自分の頭のなかを正確に表そうとするとずいぶんと苦労する。しっくりと来るものがなかなかないのである。

これは媒体の欠陥かもしれないし、我々の脳味噌の限界なのかもしれない。脳味噌の中身と媒体がしっくり来ることもなければ、その媒体が他人の脳味噌に喚起する内容が自分の脳味噌の中身と一致することもさらに少ない。

そんな状況のなかでも、人々は生き残るために協力せざるを得ず、そのためにコミュニケーションツールを磨いてきたのである。

この協力のためコミュニケーションすることのひとつの例がこの会議というやつである。

資料を作る過程で頭に中で整理されることも多々あるので悪いことばかりではないのだけれど、やはり疲れるものは疲れる。