離脱

思ったことを書いてそのあと取りまとめます。

言葉に気持ちはのっているのか

急遽夜行バスに乗らなければいけなくなった。久しぶりの夜行バスである。人生初の3列座席バスではあったが、前後がきつくて結局不快さ具合はこれまでのバスとは変わらなかった。

その日バスの乗客のなかに足の不自由な方がいた。どうやら松葉杖を常用しなければ移動がままならないようだった。

ただでさえ生活しづらいというのに、何故わざわざこんな窮屈なバスに乗車しなければいけないのだろう。お金のことを気にせず新幹線にのれるくらいに社会から支援を受けられれば良いのにと思った。でもそうはいかないようだった。

3列といってもバスのなかは窮屈で、更に乗車の際には座席までいくつかの段差を超える必要がある。乗務員の介助を受けながら彼が奥の席に進んでいくのを乗客みんなが見守っていた。

彼は誰かに助けてもらう度に「ありがとう」と感謝の言葉を口にした。よく耳にする言葉ではあるが、ここまで感謝の気持ちを感じられる「ありがとう」を聞いたのは人生ではじめてだった。

言葉で人の本心を伺い知ることはできないが、その感謝の言葉は僕に彼が本心から感謝していることを伝えるには十分だった。彼はこれまでの人生のなかで人に助けてもらえるというありがたさを痛感しているのだと思う。

自分はここまで謝意を込めた言葉を言えたことがあるだろうか。むしろ、ここまで真に迫った言葉を放てるほどに人に感謝したことがあっただろうか。普段からありがとうありがとうとよく言うが、本当に心の底から有り難いと思ったことが今までにあっただろうか。

この世は人の好意なしでは成立しない。まさに有り難い好意の連続でこの世は成立している。そのありがたさを自分は本当に自覚しているのだろうか。自分一人でも生きていけるとどこかで勘違いしていないだろうか。

自らの浅はかさを感じさせるバス旅行の始まりであった。何故彼がそんなに大移動をしなければいけなかったのかは全くもってわからないが、彼の旅もまたよい旅になっていることを祈っている。