離脱

思ったことを書いてそのあと取りまとめます。

備忘:GAの流行る建築展

気になったところを抜粋するが、課題の次元をどこに設定しているかがそれぞれにより異なる。大きく設定するところもあれば、小さく設定するところもある。

細かく分析もしてみたいがいかに。

 

TA

P.82 今は「できる限り」が、何か想定できる範囲のことになっていますよね。…(中略)…本当にそうなのかなと思うんです。私が仕事を始めた一九六〇年代は大企業も本土なく、…(中略)…みんな夢と希望をもって手探りでやりたいことを考えていた状況を見ていました。

P.83 「想定内のことなんてない、意思があればこういうことも可能なのか」ということを、見てもらいたい。

P.84 「挑戦」してきたことを、年代別などでなく、テーマごとに見てもらおうと考えました。

 

KK

P.86 自らのスタイルを模型や図面、写真でプレゼンテーションしたとしても、すべてインターネット上で検索可能な情報になってしまいましたから。

少なくとも「展覧会へ行ってみたい」と思わせるためには、インターネットでは得られない「体験」を提供するしかないんじゃないかな。

P.88 「建築展で何が可能か?」という問いに対して、「建築をフィッティングする貴重な機会」を提供するのが「パヴィリオン」なんだと思う。

特に最近は、インターネット上に提示されている様々な「建築の説明」に改宗されないように、「パヴィリオン」をより純化させ、先鋭化させています。

P.89 期間が限定されている展覧会は、独特のぎってぃんぐスタイルを提示する絶好のシステムと言える。

 

SF

P.94 ある時に、展覧会には個別に作品を見る体験と全体を見渡す体験の両方があることに気づいたのです。

 

YH

P100. アートの場合、鑑賞者は自分の基地と結びつけます。…(中略)…だからこそ全く未知のヴァナキュラーなテイストなどは最初受け入れられません。アートには一つのバリアがある。受け入れやすさでいえば、音楽が一番早くて、その次が建築。

展覧会にメイキングという概念を持ち込む理由は、追体験からその先をどう考えていくかにつなげていきたいからです。

日本の展覧会フォーマッタは、もともとは新聞社がいろんな場所やデパートを借りて、博覧で見せるというやり方でした。新しいものを紹介する意識があったのだと思いますそれは展覧会の本質の一つであることは変わっていません。

 

KH

 

つづくか?