離脱

思ったことを書いてそのあと取りまとめます。

君は水素の音を聞いたか?

最近もっぱらyoutubeを見ている。

布団のなかでなにもする気力がなくても、指先ひとつで色々な映像コンテンツに触れられるのだから、ただただ布団にくるまって気になるサムネイルをクリックしてはボーッと動画を見てしまう。

ここ最近(?)は同じ動画サービスのニコニコ動画のコンテンツも転載されたりもしており、相互に人の流入が見られる(youtuberの動画がニコニコに転載されyoutuberの人気に火がついたりなど)。

そんななかニコニコから人気に火がついた水素の音なる動画がYoutubeに転載されていた。どうやらTwitterでもトレンド入りを果たしたらしい。詳しくは以下の動画と解説ページを見てほしい。

http://nico.ms/sm29003244

http://dic.nicovideo.jp/t/a/水素の音

もちろん僕は水素水なる怪しげなものは全く信じていないし、今後積極的に関わろうとも思わないのだが、動画内の二人の心底嬉しそうな姿には羨ましさを覚えないではない。もちろんこれはあくまで商業的なCMであって彼らが心のそこから水素水のご利益を信じているとは思わないのだが、あの動画のなかには人が心のそこから善と信じるものに触れられたときに湧き上がる喜びの気持ちのようなものが表現されているように思う。

あの動画を見たとき彼ら(とあの動画を成立させてしまう社会)に愚かしさを感じつつも、果たして自分にとって心のそこから善と信じられるようなものはあっただろうかと疑問を感じてしまう。

なにもかも信じられず、ただ鬱々と日々を過ごしてしまう自分よりも、自らが信じるものに喜びを感じられる彼らの方がよっぽどハッピーで高尚なんじゃないかと思ってしまう。

僕にとって水素の音は福音にはなり得ないが、いつか僕の人生に福音が響くことを期待しようと思う。