東京からの離脱(2)
東京を離れて思うのは、その便利さが過剰で、人間の判断力を奪ってしまっていはしないかということである
さて前回からの続き。単なる後ろ向きな現代批判にならぬよう気を付ける。
便利さは近現代が目指す目標のひとつである(本当か?)。誰だって便利が一番良いに決まってる。いまさら縄文時代に戻りたいなんてことをいう人がいるだろうか。恐らくあまりいない。
ただ、東京で暮らす便利さは本当に自分にとって適正なのだろうか。
つまりは我々は自分で選んでその便利さを享受しているわけではないのではないか、あるから使っているだけでその大半は実際には必要がないのではないか、というところが問題意識としてある。
都会でのある種の生き辛さは、その便利さを担保するための代償なのではないだろうか。
<続く>